バリーリンドン

アイルランドの平民の若者が18世紀の貴族になるにはどうすればよいのか?唯一かつ全てと思われる方法をバリー・リンドン(ライアン・オニール)は実行した---。富と権力をつかむ物語を描いたウィリアム・メークピース・サッカレーの小説をスタンリー・キューブリックが見事に映像化した作品。この優雅で風刺の効いた作品はアカデミー4部門を受賞した。キューブリックは、18世紀画家からインスピレーションを得た。衣装やセットは18世紀のデザインに忠実に再現され、撮影レンズは室内、室外の自然な光を再現できるように開発された。その結果『バリー・リンドン』は永久に語り継がれる、栄枯盛衰を鮮やかなフィルムによみがえらせた今までにない作品となった。


この映画も、キューブリックの完璧主義なリアリティの追求と美しさに溢れている傑作でした。
スクリーンに映る人々や風景は、実際に中世のヨーロッパに生きていたと思わせるくらいリアルです。
 
人間がフィルムの内に切り取って作った映画というものに「客観性」を求めることは、すごく難しいことであり、
そもそも作ったものに客観性など存在しないのですが、キューブリックが画面に切り取って描いた映画には
リアリティという点で客観性を感じるし、そこから正反対に向かう哲学みたいなものを感じます。
 
アイズ・ワイド・シャット」「時計じかけのオレンジ」を観ても思ったのですが、目先の快楽に捉われる人間の姿
がかなり滑稽に描かれていて、そのあと必ず神の制裁を受けることになります。
止めどなく溢れる物欲に従って生きるのが人間の性というものですが、そこに身を委ねるのではなくどこかで
歯止めをかけないと、悪夢のように堕落した人生が待っているという教訓が込められています。
 
それは「2001年宇宙の旅」を始め、キューブリックの他の多くの映画にもいえることではないでしょうか。
しかし、教訓に従って生きれば必ず救われるということでもなく、立ち向かいようのない運命のようなものが必ず
存在していて、強大な宇宙の掌の上で弄ばれるように生きるしかないということも感じます。
 
人間は絶対的な存在ではないし、その戒めがないと閉ざされた危険な運命が待っていると思います。
 
キューブリックの映画は、何度観ても深く考えさせられる人類のテーマみたいなものがありますね~