多感

6歳になるユウタはごく普通の小学生だった。
しかし周りの大人たちはユウタを変わった子どもだと思っていた。

学校からの帰り道、ユウタは赤信号が変わるのを待っていた。
目の前の横断歩道を色々な車がすごいスピードで通過していく。その光景を見ながら、ユウタは自分が
車にはねられることを想像した。
道路に飛び出したユウタの体に、猛スピードで走ってきたトラックがぶつかる。運転手はブレーキをか
けたが手遅れだった。ユウタの体がきれいに宙を舞う。意識はゆっくりと遠のいていく・・・。
ユウタはまるで映画のワンシーンのように、そんな場面を想像することができた。

帰り道の交差点で、ユウタはいつもそんな想像をしていた。すると心臓は高鳴り、手にはじっとりと汗を
かいていた。そしてふいに目の前の道路に飛び出したい衝動に駆られるのだった。
車道と歩道の境目で、足を一歩前に出しそうになる。突然、大型ダンプが目の前を猛スピードで通過した。
轟音とともに、振動で道路が揺れた。ユウタは気を失いそうになる。一瞬、本当に自分がはねられたのか
と思った。そこで我にかえった。自分が車にはねられるのを想像するのはユウタにとって快感だった。

ユウタは死や幽霊についても、いつも想像していた。しかし周りの大人たちに、死後の世界について質問
してもいつも煙たい顔をされ、満足できる解答は得られなかった。するとユウタの想像はますます膨らむ
一方で、想像は自分が車にはねられることにまで及ぶのだった。
そういうことを想像するのは学校の勉強よりもずっと魅力的だったし、刺激的で興味が尽きることはなか
った。

ある日、学校で命についての授業があった。
小さなアリから、大きなゾウまで、生きているものには命がある。そしてすべての命には寿命があり、命
は他の命を食べることで生きているという内容だった。
その授業はユウタにとってとても興味深いものだったが、まだ分からないことがあった。
ユウタには自分が他の命を食べて生きているという感覚がなかった。もちろん、理屈として他の命を食
べているということは分かる。しかし実際、命を殺して食べているわけではないし、そういう場面を見た
ことがあるわけでもない。それは実際に農家で働いてみて、精肉になる過程を見てみないことには実感
できなかった。
そして自分にも寿命があり、いつかは死ぬということも理屈としては分かるが、それが遠い未来のこと
ならば実感はできなかった。

ユウタには4才の時に亡くなったおじいちゃんがいた。
いつも優しくて、ユウタのことを可愛がってくれる大好きなおじいちゃんだった。おじいちゃんはユウタ
が分からない幽霊や死後の世界についても教えてくれた。ユウタがそれらについて質問してもちゃんと
答えてくれるただ一人の大人だった。

おじいちゃんの話では幽霊は本当にいて、人間はこの世に未練があったり大切な人を残して死ぬと、目に
見えない幽霊になってしばらくこの世にとどまるらしい。

それはユウタにとって、とても満足できる解答だった。
ユウタが読んだ幽霊の本にも同じことが書かれていたが、周りの大人たちや友達はそんなの嘘だとしか
言わなかった。でもおじいちゃんは幽霊は本当にいると言ってくれたのだ。

ユウタはたまに幽霊を見ることがあった。
皆が集まる公園や広場で、楽しく遊んでいる人たちのなかに、一人片隅にぽつんと座り、眺めている人
がいた。その人はまるで周りの風景から切り取られたかのように、暗く憂鬱な顔をしていた。ユウタには
その人が幽霊だとすぐに分かった。
他にも、部屋の片隅に顔も知らない子どもが立っていたり、道の向こうから血だらけの人が歩いてきたり
ユウタはたくさんの幽霊を見たことがあった。それらはいつもユウタ以外の人には見えていない様子だ
った。

2年前おじいちゃんが亡くなり、葬式が行われた。
棺桶の中のおじいちゃんは安らかに眠っていて、ユウタが声をかけたらすぐに目を覚ますのではないかと
思われた。4才のユウタにはおじいちゃんが死んだという実感は湧かなかったし、すぐにまた会えると思
っていた。
しかしそれからおじいちゃんの家に遊びに行っても、おじいちゃんはいなかった。仏壇に写真が飾ってあ
るのを見て、おじいちゃんは幽霊になったのだなと思った。しかしおじいちゃんの幽霊に会ったことはな
いし、その頃からユウタには幽霊が見えなくなっていた。
6歳になった今も、おじいちゃんが死んだという実感は曖昧なままだった。

昔は人は家で生まれ、家で亡くなっていたが、医療施設が発達した現代では、人が生まれるのは産婦人科
だし、死ぬ時は病院のベッドの上で延命措置のチューブをつながれ死ぬ。
そういう現状からも、現代人は生や死を身近に感じられなくなった。だからユウタのように死について興
味をもつ子どもがいることはごく自然なことなのである。

ユウタは物が壊れるのを見るのも好きだった。
物が壊れて、取り返しがつかない状態はこれこそ死ではないかとユウタには感じられた。そこで、アパー
トのベランダから物を落として壊してみることにした。なるだけ壊れやすい物がいいのでコップを選んだ。
ベランダの手すりの間からコップを持った手を伸ばした。そしてゆっくり握っている手の力を抜いた。
なんともいえないスリルだった。
コップはユウタの手を離れ、重力に従って落下していった。
スローモーションで落ちていくコップの映像が脳裏に焼きついた。そして目の覚めるような「ガシャー
ン」というコップが割れる音が聞こえた。
ユウタはアパートの階段を降り、コップが割れたのを確かめに行った。もはやコップは原形をとどめてお
らず、無数のガラスの破片がアスファルトの上に散らばっていた。破片を拾い上げると指を切った。
人差し指に滲んでいる血を見て、なんとなく死というものが分かった気がした。

ある日学校からの帰り道、横断歩道を渡っていると乗用車がすごいスピードで突っ込んできた。
ユウタは何が何だか分からないまま、その車にはねられた。

ユウタの体がきれいに宙を舞う。意識はゆっくりと遠のいていった・・・。

ふと気がつくとユウタはおじいちゃんの家にいた。
おじいちゃんがいつも座っているソファーに腰掛けて優しく微笑んでいた。
ユウタは大好きなおじいちゃんにまた会えた嬉しさでいっぱいだった。そしておじいちゃんの隣に座った。

「おじいちゃん、生きていたんだね!」
するとおじいちゃんは聞きなれた声で答えた。
「ユウタ。久しぶりだね。でもおじいちゃんはもう生きていないんだよ」
「えっ?じゃあ、おじいちゃんは幽霊なの?」
「ああ。まだユウタにさよならを言ってなかったからね」

ユウタは久しぶりに会った幽霊になったおじいちゃんに、色々な話を聞いた。
未練を残して死んだ人は幽霊になること。その未練を果たせたら幽霊も天国へいけること。天国でたくさ
んの人と再会したら、それまでの記憶は消え、またこの世に生まれ変わること。

久しぶりに会ったおじいちゃんから色々な話を聞かされ、ユウタは興奮していた。
ユウタが知らない死後の世界について色んな事を教えられ、ユウタの頭はパンクしそうだった。
分からないことをユウタは質問した。するとおじいちゃんは分かりやすいように話してくれた。

久しぶりに過ごすおじいちゃんとの夢のような時間だった。

そしてしばらく話した後、おじいちゃんは言った。
「さあこれで本当のお別れだ。おじいちゃんは天国へ行く」
「えっ?僕、もっとおじいちゃんといたいよ」
「それはダメだ。でも悲しむことはない。おじいちゃんとはまた天国で会えるんだよ」

気がつくとユウタは病院のベッドの上にいた。体中に包帯を巻かれていて、ズキズキ痛んだ。
ベッドのわきには両親が心配そうな顔をして立っていた。ユウタが目を覚ますと父親が言った。

「意識が戻ったぞ」