偉大なもの

長らく何の信仰心も持たないし、宗教も信じていない“無神論者”だと思っていた。
 
生まれた時から宗教心の強い家柄に育ったわけでもなく、合理化された社会では宗教は必要ないというか、
無用な流れを汲んでいて、そんな欺瞞でまみれた社会に言いようのない不安を覚える人たちが宗教に頼って
生きているというイメージがあった。
 
もともと多様な異なる文化・価値観の人々が暮らす社会をまとめるために宗教は必要であろう。
アメリカや中国はあれだけ広い大陸に多様な人々が暮らしているため、宗教が根付いたのだと思う。
 
一方、小さな島国である日本では昔から、豊かな自然が人々の己を超えた存在である“神”だと思われてきた。
この感覚はキリスト教の「GOD」の感覚とは根本的に異なる。すなわち、具象化された「GOD」の存在とは違い、
木々や動物、石ころに至るまで万物に神が宿るという考え方である。それは信仰の対象としての“神”という概念
が生まれる前の自然に宿る“精霊”のようなものだと思われてきた。
 
 
自分の中で眠っていたこの感覚を、山に登って肌で感じることができた。
難しい理屈などではない。自然の空気を吸って、霊的なものを魂で感じてしまったのだ。
 
自然が“神”なのだと思った。子どもの頃から自然の中で遊び、色々なことを体験して覚えた。
その経験が、或いは日本人として古来より受け継がれてきたDNAがそれを察知したのかもしれない。
 
そしてその偉大な存在である自然に恩返しがしたいというか、ずっと自然の中で生きていきたいと思ってきた。
勿論、恩恵をもたらしてくれるだけが自然ではない。ときにはその偉大な力の前では、人間は無力であり、
とても歯向かえないちっぽけな存在である。しかしそこも含めて、自然には神が宿っていると信じてしまう。
 
自分が音楽を作るとしたら、自然の偉大さを表現したい。そのテーマは「山」だと思っている。
 
尊敬するミュージシャンであるビョークも、自然の中で育ち自然が神だと思ってきたと語っている。
それを聴いてすごく共感できた。偶然にも好きなアーティストが同じ考えを持っていたことに驚いた。
火山と氷河が両立する、アイスランドの厳しい自然ではやはりそういう思想が生まれるのであろう・・・。
宗教が生まれる背景にも、そういう地理や土地環境が深く影響を与えているように思う。
 
生きていく上で頼らなければならない「偉大な存在」について深く考えてしまう。
自分ひとりで何かを成し遂げられると思ったら大間違いで、やはり運命を操作する大きなものがあるのだろう。
やはり自分のルーツは「山」なので、その全身全霊で感じたエネルギーを音楽にしたいと思う。