音楽の“石器時代”終了

今年は岡本太郎の生誕100周年ってことで、世間でも記念展が行われたり、話題になっています。
 
テレビ番組でも特集が組まれたり、ドラマが放送されたりしていてすごく興味深かったですね
 
 
改めて彼の著書を読んでみると芸術のみならず、色々な分野で功績を残しているすごい人だったんだと実感
 
「自分の中に毒を持て」とか「今日の芸術」とか、人生観を180度変えられる、とんでもないパワーを持っ
 
です!
 
 
 
音楽も芸術の一分野なんで、俺も音楽をやっている人間としてすごく考え方を変えられるというか、感じるもの
 
がありました。てか、職業で人を縛って職能分化してしまうこと自体間違いなので、この世界にいるすべての人
 
が芸術家になりえる存在であり、何かを表現していなければならないのです。
 
 
岡本太郎が死んで、これからは自分たちが太郎の意志を受け次いで、時代を
 
変える新たな芸術を作っていかないといけません
 
 
 
現代の音楽シーンについて思うことは、うんざりするような凝り固まった行き詰り傾向です。
 
クラシックなどの大昔の作曲家が書いた曲を未だに、現代の演奏家たちは一日何十時間も練習して、再現する
 
ことに追われています。何百年も前に確立された音楽スタイルを、音楽的に完成されたものとして崇め、大衆
 
が聴いて演奏しているという状況です・・・
 
 
もちろんそれらの名曲たちは音楽史に残る、人類の遺産として残していくべきだとは思うが、音楽がデジタル化
 
し、半永久的に残る状態にありながら、コンサートでもうんざりさせられるくらい演奏されているし、文化として
 
広めるために業界の人間たちは有り余るほどに労力を使っています・・・
 
 
でも芸術は本来“変わり続ける”ことが大原則であり、2度と繰り返すことがないし、繰り返してはならない
 
ものであるはずなのです。その前提に従えば、今再現されているクラシック音楽は“芸術”ではないし、その演奏
 
家たちも“芸術家”とは到底呼べるものではありません
 
 
そんな風潮を打破するため20世紀初頭に台頭したのが現代音楽で、それは響きや調の概念を根底から打ち
 
崩して、クラシック音楽の流れを変える新たなものを作ろうとする動きでした。時を同じくして、芸術の他の分野
 
ではアヴァンギャルドシュールレアリスムなど前衛的な運動が起きます。それも70年代になると下火になり、
 
もはや消え去ったかの状況にあるのが21世紀に入った現代の芸術社会である・・・
 
 
 
音楽は大量生産されそれはビジネスになり、ミュージシャンではなく音楽業界が音楽を作り、売っているといっ
 
ても過言ではない現状。いい音楽かというよりも、それに見合った売り方が重視され、崇められている。デビュー
 
したプロのミュージシャンは“アーティスト”と呼ばれているが、本当にそうなのかと疑ってしまう。
 
 
クラシックやジャズ演奏家たちは、何百年も前の“名曲”たちをうんざりするほど練習し再現しています。
 
みんなが知ってる過去の名曲を演奏しないと売れないとか、そういう制約ばかりが独り歩きして、演奏家たちを
 
苦しめています・・・
 
 
そんな現代の音楽社会は、業界に作られた無個性で同じようなヒット曲が次々に生産され、かとおもえば過去
 
の遺物のような作曲家たちの名曲を何度も何度も、うんざりするくらいに再現している、というもので、一見して
 
新しい革新的なものは何もないようにも思われます。
 
 
でもこの移り変わりがないようで続いている状況も、何千年~何万年も前に、人類の祖先がアフリカで演奏して
 
いた音楽(のようなもの?)の流れからすると、とんでもなく目まぐるしいものであるに違いありません
 
 
そのころの音楽は、もはや現代の価値観からいう音楽ではないし「芸術」という概念など微塵も存在していなかっ
 
たのです。 “芸術”という概念は、実はこの200年くらいの間にうまれたものです。
 
それまでは、画家も“絵師”と呼ばれ、今でいう「職人」と同じような職業でした。 ・・・ということは、芸術家という
 
職業も、人類の歴史からするとここ最近出来たもので、芸術の歴史はまだ産声を上げたばかりだと言えます。
 
 
 
 
「職人」と「芸術家」の社会的役割は根本的に違っていて、機械やテクノロジーが発達した現代では「芸術家」が
 
その社会的地位も役割も、これから担わされていくことになります。
 
まさに、音楽や芸術の新時代は、今まさに始まったばかりだと言えるのです
 
 
演奏家は一日何十時間も練習する必要はない。これからは超絶テクニックなんかより、個性的な作曲能力や
 
それを具現化する表現力が重視されていく。音楽教育が進んだ現代では、ある程度練習さえすれば難しい演奏
 
もできるようになる。音楽がデータ化され、半永久的に残るので、「演奏家」の役割は徐々に消えていく・・・。
 
 
それから、西洋音楽から今や全世界に広まった平均律の概念も、これからは崩れていくべきだと思う。
 
あらゆる音楽は12音階で作られ、同じように楽譜に書き表すことができるようになっている。でも、本来、
 
音楽は楽譜に書き表せない要素の方が、重要な位置を占めている。
 
日本の尺八や、琵琶などの伝統楽器は、五線譜に書き表せないので「図形楽譜」などが用いられる。勿論それ
 
だけで演奏を習得できないので、師匠について演奏を受け継ぐことになる。それが伝統として今も残っている。
 
 
それがもともと広まりやすい西洋文化の影響で、どの国のヒット曲も同じように12音階で作られ、今や特定の
 
地域に残る民族音楽以外は、ほぼ西洋音楽の影響を受けていない音楽はないといえる。
 
 
それが同時に、この凝り固まった行き詰りにまみれた音楽シーンを形作ってしまったのである。もちろん平均律
 
による音楽文化の波及の恩恵はあったが、これからはそのような固定された音楽概念も打ち崩されるべきで
 
あり、平均律に洗脳されたような音楽教育もことごとく変えていくべきだ
 
 
クラシック音楽や過去の音楽にすがり、金目当てに音楽を売っている業界も、ビジネスとして新たな音楽を売る
 
覚悟を決めて欲しいものだ。同じような売れては廃れるヒット曲ではなく、革新的な音楽を作っているミュージシ
 
ャンにもっと光を当てていくべきである。過去に捉われた「音楽ジャンル」なんかももういらない
 
 
俺も、大袈裟すぎるかもしれないが、時代を変えるような音楽を作りたいな~