現代のいじめ

ある小学校。
教室の片隅に、暗い顔の少年がいた。

実はこの少年、最近クラスのグループからいじめを受けていた。
手口は巧妙で、先生のいるところでは仲良しのふりをしているが、誰もいない階段の踊り場で後ろ
から背中を押したり、廊下でわざとぶつかったり嫌がらせをしてくるのだ。

最近はインターネットの掲示板に少年の悪口を書いて、面白がっているらしい。

一度は勇気を出して、先生に相談したのだが「いつも仲がいいだろ」などと相手にしてくれない。

この先生、同和教育には熱心であり、昔の部落差別などを授業で取り上げたりしている。
しかし、現代のいじめは巧妙で、影で卑劣なことをするということを知らないらしい。

少年へのいじめは、日を追うごとに残酷なものになっていった。

体を殴られるようになったが、顔にはあざがないので先生や親は気づかない。
インターネットの掲示板には「死ね」「キモイ」「ウザイ」と書かれるようになった。

ある日の、道徳の授業での同和教育
「部落の人だからといって、そこに生まれただけで、一生差別をうけて今も苦しんでいる人がいます。
部落差別は絶対にしてはいけませんよ」
いじめグループはまんざらでもない顔でうなずいている。

少年がいじめを受けているのは、部落に生まれたからではない。顔がキモイとか、性格がウザイなど
の理由で仲間外しにされているのだ。

その日の放課後、少年は学校の屋上から飛び降りた。