宇宙のi-Pod(続編)

オンタは宇宙船の中にいた。

これといって目につくものはなく、円形の白い床と壁だけの何もない空間だった。

オンタはまだ耳にイヤホンをつけ、i-Podを聴いていた。曲の残り時間は少なかった。
ふとオンタは壁際へ歩いていき、白い壁に手をかざした。すると、壁のシャッターが開き、USB端末が
伸びてきた。オンタはそれをi-Podに差し込んだ。すると自動でi-Podに新しい曲がインポートされた。
USB端末が通じているコンピュータには、何百時間、何千時間もある曲が何百曲も入っていて、オンタは
その全部を聴く運命にあるのだ。

新しい曲がイヤホンから流れてくるとオンタは床に座り、首を振りながら何やら楽しそうに音楽を聴い
ていた。しかし目はうつろで、表情はひきつったような笑みを浮かべ、時おり支離滅裂なことを叫んで
いた。地球ではオンタは精神異常者の部類に入るのだろう。

その間、宇宙船はすごいスピードで宇宙空間を飛びまわっていた。地球を離れ、太陽系を離れ、銀河系の
様々な星を巡っていた。ある星を訪れると、その星をコンピュータが認識しi-Podから流れる曲を選んだ。
するとオンタはその星が生まれてから死ぬまでの歴史がすべて分かった。
岩石が衝突を繰り返し、ひとつの星が生まれた。気候変動を何度も繰り返しながら、やがて環境が整うと
生命が現れた。最初、微生物だったが、進化を繰り返し大型の生物も現れてきた。そして人間のように、
知的活動を行い、文明を築くものも現れた。しかしそれらも、やがては滅び、また微生物からの進化を
繰り返し、生まれては死ぬことを繰り返した。その間、その星は何度も気候変動を繰り返した。星の表面
がマグマに覆われた時期もあった。星全体が凍結したこともあった。しかし微生物はしぶとく生き残って
いた。
やがてその星にも寿命がきて、爆発する時が来た。すべては無に還り、宇宙空間の藻屑と化した。
しかし、そのエネルギーがまた新たな星や生命を作るきっかけでもあるのだった。

宇宙船はいくつもの星を訪れ、コンピュータはi-Podから曲を流し、オンタにその星の歴史を伝えた。
オンタは様々な星や、そこで生まれた生命を知った。中には地球とウリ二つのような星もあり、そこには
地球で生まれたものと同じ生命がいた。ある時期には人間が文明を築き、栄えていた。その中に、オンタ
とウリ二つの人間がいて、オンタを一瞬ハッとさせた。しかしオンタは、それが自分だということには
気付かなかったし、もう忘れていた。

ある星では人間とは似ても似つかない、地球のどの時代にもいなかったような生物もいた。地球の人間が
その生物を見たら、きっと大きな驚きとともに、ひどい嫌悪感を示したに違いない。
そんな奇妙な姿をした生物をいくつも見ているうちに、オンタはもう正常な人間の感覚を失っていた。
すでに自分が地球に住んでいた人間だということも忘れてしまっていた。

宇宙空間をすごいスピードで飛びまわり、銀河系の様々な星を訪れ、宇宙船は地球に帰ってきた。
その間、30日間の出来事だった。オンタは壁から伸びる点滴で栄養を摂っていた。同じように、壁から
伸びるチューブで用を足していた。

宇宙船は地球の大気に入り、様子をうかがった。
しかし地球は、オンタが住んでいた頃とは景色が一変していた。
緑はなく、地上には荒れ果てた砂漠がずっと広がっていた。人類はすでに滅んでいて、地上には生命は
いなかった。

実は、相対性理論により、宇宙を飛び回っていたオンタは30日間しか年をとらなかったが、地球では
100万年の歳月が経過していたのだった。
地球は急な気候変動により、生物が住めない環境になっていた。大気はメタンガスを多く含んでいて、
ちょうど生命が生まれる前の地球の状態に戻っていた。海には多くの微生物がいるかも知れなかったし、
これからまた多くの生物が生まれては死に、進化を繰り返すのだろう。
宇宙船のコンピュータはi-Podから音楽を流し、オンタにそのことを伝えた。しかしオンタは自分が地球
に住んでいたことは忘れていたし、そんなことには興味がない様子だった。

地球の様子を見届けると、宇宙船は地球を離れ、再び宇宙空間をすごいスピードで飛び始めた。
今度は銀河系を離れ、宇宙の果てを目指して加速した。i-Podには新しい曲がインポートされ、流れ始
めた。その曲を聴いて、オンタは宇宙が生まれてから死ぬまでの様々な歴史を知ることになった。
宇宙の大まかな歴史については、地球にいるときに聴いたi-Podの曲で知っていたが、まだまだ他にも
宇宙には数えきれないほどたくさんの歴史が存在しているのだ。そのすべてを知ることは、オンタの寿命
ではとてもできない。

そのためには肉体を離れ“エネルギー生命体”になる必要があった。
実はオンタが乗っている宇宙船を操っているのもこの“エネルギー生命体”なのだ。
エネルギー生命体に実体はなく、宇宙の端から端までを一瞬で移動することができた。寿命はなく、宇宙
が消え去った後もずっと生き続けることができた。実体がないということは限りなく自由なのだ。
エネルギー生命体はまさに生命の理想形であるといえる。

オンタは音楽を聴いて、そのエネルギー生命体について知った。そして早くそのエネルギー生命体になり
たかった。オンタの興味はすでに宇宙が消え去った後の世界に向けられていたし、早くその世界へ行きた
かった。しかしまだオンタは人間の寿命を終えていなかったし、それまで途方もない時間があるのだ。
そのことを考えると気が遠くなったが、コンピュータにはまだインポートできる曲が何百曲もあるのだ。
オンタは宇宙船の中でその曲を聴いて思いを巡らし、残された時間を過ごす運命にあった。

月日は風のように過ぎ去り、何百曲もあった曲はついに残すところ一曲となった。
オンタは百歳になり、朦朧とした意識の中で最後の曲を聴いていた。宇宙船は相変わらずすごいスピード
で宇宙空間を飛び続けていた。

ふと気付くと、オンタは空に浮かんでいた。肉体はなく、意識だけが宙に浮かんでいた。

眼下には青いガスの海が広がっていた。地球の海とは違い、波紋はなく重いガスだということが分かった。
空は薄紫色で、地平線に近づくにつれて薄ピンク色になっていた。

どこかで見たような風景だなと思いながら、遠い昔のことを思い出していた。すると近くで声がした。
音が聴こえたのではない。オンタの意識の中に話しかけてきたのだ。その声は男だか女だか分らなか
った。人間なのかも分からなかった。しかし意識に安らぎを与える、聞き覚えのある声だった。遠い昔
に会ったことのある、友達のような声だった。

「やっと出会えたね。さあ、これから宇宙が消え去った後の世界へ行こう」

オンタはその声が導く方へ誘い出された。そして、白い光の世界へ飛びこんでいった。