LIFE IN HOLE

夢の世界の高原を歩いていると、丘の上の緑の絨毯の場所に穴を見つけた。
 
ちょうどUFOの着陸地点だったので、UFOが空けた穴だろうと思ったが、それにしては大きさが合わないし、
淵がくっきりしていて、覗き込むと底は永遠に地下にあった。
 
穴の大きさは、鼻の穴よりは小さいし、月のクレーターよりは大きい。その中間をとったくらいであった。
 
円という点が繰り返されて出来た空想上の円柱の中から、歓喜の叫び声が響き渡り、自分はその声を聞いて
古より続く生命の営みに終止符を打つべく深淵を目指すのだと思った。
 
奈落へ向かって垂直に貫かれた空想上の円柱の壁面に立って歩き始めた。
 
初めは明るかったが、やがて光が届かなくなると何も見えなくなり、映画が始まった。
その映画は時の曙以来、誕生したすべての生命の嘆き苦しむ叫び声を称えていた。
光がない映画は永遠にクライマックスが続いているので、飽き足らなくなった自分の意識はドアを開けて外へ出た。
 
すると地面がなく、崖の上から突き落とされると、ものすごい重力に引き寄せられ意識を失った。
 
 
五千年振り続いた雨が何もかも洗い流すのをやめると、太陽が青いボールの表側を照らし始めた。
意識の種が大地に芽吹くと脳内に根を張り、無数の髪の毛が頭皮を覆い隠した。やがて歳をとり、髪の毛の
半分が抜け落ちると、雨が降ったり止んだりし、雲の下で頭皮が見え隠れしていた。
そこで、小さなゴマ粒の生命が舞台で踊っては引きずり下ろされ、また別のゴマ粒が踊りだすと別のゴマ粒が
現れた。
 
いつしかゴマ粒だった生命は、全く別の姿になり、手足が生えたウインナーになった。
ウインナーはゴマ粒をたくさん食べるとどんどん大きくなり、一緒に髪の毛を抜いて食べ始めた。
ゴマ粒も髪の毛も食べつくすと、ウインナーは何もすることがなくなり、しぼんでいった。
 
青いボールは何事もなかったかのように回っていたが、ただ少し灰色に近くなっていた。
 
 
意識が戻ると、今のは空想上のレンズを通して見た、現実の世界だということに気付いた。
 
奈落に接近するにつれ、時間と空間の縦の軸を遡るため現在へと近づいた。すなわち、永遠に続いている空想
上の円柱のなれの果てにあるのはゼロの世界で、常に目の前に見えるのは明日なのだった。
そしてゼロの世界へ近づくにつれ時間と重力から解放され、すべてが無に還り、自由になるのだった。
 
少しづつ時間の流れがゆるやかになり、重力が弱まると、前方に光の筋が見えてきた。しかし、それは現実世界
の光ではなく、自分と空想上の円柱の境界が曖昧になってきたことで意識に働きかけてきた光だった。
 
 
黒いボールが輪切りにされると、真っ二つになった円の断面に無数の歯車が付いていて、すべてが回転しなが
ら働いているのが見えた。歯車は大きいものや小さいものがあり、形も歯の数も実に様々で一つとして同じ歯車
は無かった。ずっと眺めているとその中に自分の歯車を見つけた。しかし、自分の歯車は他の歯車よりも出来が
悪かった。隣の歯車とかみ合わなくなり、ネジが外れて宇宙空間に投げ飛ばされた。自分が外れたことで世界
の流れが少し変わったのか分からないが、自分は宇宙空間を永遠に等速直線運動し続ける孤独感でいっぱい
だった。
 
 
そして遂にゼロの世界へ到達した頃には、自分と空想上の円柱との境界線はチョコレートのように溶けあい、
隔絶された個々の存在がひとつになった。包み込まれたチョコレートは意思の玉ではなくなり、苦痛とは無縁の
重力から解放された安心感と抱き合って同じ色になった。
 
記憶が消えてしまう直前に、存在を失うということは重力から解放され、自由になることなのだと分かった。
 
UFOの着陸地点に開いていた穴はなくなり、空想上の円柱は無に還った。