ソドムの市

「ソドムの市」ピエル・パオロ・パゾリーニ監督作品。1976年。マルキ・ド・サドによる原作を映画化。性器、スカトロ等の過激な性描写が非常に多く、これらはパゾリーニの嗜好としてだけでなく、様々な現代社会への批判が込められている。
世の中のカルトと言われる映画の中でも、その極北に位置する作品。ここまで鬼畜な内容を映像化したパゾリーニの芸術魂に敬服。この映画の完成直後、彼は謎の死を遂げる。作品に反感を持つグループによる轢殺とされる。文字通り命懸けで製作された映画。

美男美女の裸体。酒池肉林。残虐な性的拷問。内容は地獄だが、閉鎖された建物内の光景は絵画のように美しい。

ひたすらに冷酷、辛辣、無慈悲。人間の欲望と、際限ないサディズムが横溢している。最初から最後まで、人間の汚い部分を延々と見せられる映画。

飽食に明け暮れる現代人を、糞食を描く事で強烈に風刺。権力者たちに食わされる、暴力を受ける、犯される。意思も人権も無視された若者たち。政治的風刺だと思われる。

性交、暴力、殺害。これらは表向きの社会では見られない行為。見てはいけないものを「観る」ための映画という方法で表現。 「性(エロス)」と「死(タナトス)」は繋がっている。生物は生殖するために生まれ、死んでいく。

映画は「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」の章に分かれていて、人間が生まれて死んでいく、一生の地獄を表現。

全編を通して特に描き方に変化はなく、ただひたすらに無慈悲。鬼畜な映像の羅列。普通の映画のフォーマットを外れているため、世界の暗部を覗いているような異形の映像体験。

何を観ているのだろう?これは何なのだろう?という極めて不思議な感覚になる映画。見たくない、と目を背けたくなる映像。しかしこれは見なければならない。人間が生まれて死んでいくまでの真実がここにある。

いかに生きるか?という悩みを誰もが抱えている。この悩みと向き合う事が人生。残虐な権力者と、救いのない美男美女。パゾリーニは極限状態を描く事で、人間存在の哲学を描いたのだ。

[ストーリー]

イタリアが連合国に降伏した後、残余のファシストたちは、北部の町サロに集まり、亡命政権を形成していた。このナチス傀儡政権の権力者たち、大統領・大司教・最高判事・公爵の4人は、自分たちの快楽のために、市町村条例を新しく制定する。その規定に従って美少年・美少女が狩り集められ、さらにその中から彼らの厳選した男女各9人が、秘密の館に連れ去られる。

権力者たちは、そこで自分たちの定めた規則に従って、あらゆる淫蕩・変態行為に耽る。毎日、集会所で4人の語り婆たちのうち1人に猥褻な体験を話させることによって欲望をかきたて、少年少女たちを相手にその話を実行に移すのである。その変態行為は次第にエスカレートしていき、最後には死に至る拷問が待っている。しかし、犠牲者たち同様に狩り集められてきた館の少年警備兵たちは、苦悶する犠牲者たちを尻目に、ラジオの音楽に合わせてダンスのステップなどを踏んでいる。

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